合格者 参考作品集
当塾からの合格者の作品集(抜粋紹介)です。本ページの掲載作品の半分以上は、ほぼ初心者から受験対策を初め、最終的に質の高い作品制作ができるように成長した例です。指導効率の良い個別授業だからこ実現できる受験対策です。
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(前略)
あなたの鼻はモノクロの世界しか知らないと言われたら、どんな気がするだろうか?本来、目の前には豊かでカラフルな香りの世界が広がっているにも関わらず、あなたの鼻がその芳醇な世界を認知できていないのだとしたら?そして、あなたの鼻をモノクロの世界に押し込めているのは、言葉の不足によるものだと言われたら。
現在、公開中のフランス映画「パリの調香師 しあわせの香りを探して」の中で、主人公の女性調香師が旅先に自宅からわざわざシーツを持っていきホテルの洗いたてのシーツと取り替えるという奇行じみたエピソード(映画の主人公のモデルになった実在の有名女性調香師の実際のエピソード)を、嗅覚の鋭い人物の変わった日常のひとつとして少しシニカルに描かれている。彼女曰く、多くのホテルのシーツには大量の安価な合成ムスク(ガラクソリド)入りの柔軟剤が使われており、その香りが大嫌いだとのこと。このように芳香分子ガラクソリド単体の香りを認識して、それを忌避できる一般人は多くはない。調香のプロフェッショナルな世界にいる人物だからこそできる曲芸のような技術と特殊な回避行動のようにも思うが、彼ら・彼女らが日常に溢れている香りの世界でさえも分析的に眺め、通常であれば認識できない自身の不快要素を割り出してそこから距離を取ることでマイナスを除き、自らの生活を豊かにしていることを示す良い例であると思う。
最新の研究によると、人間は本来 1 兆種類ものにおい(混合臭)を識別できる能力をもっている可能性があると言われている。香りのプロフェッショナルはその全てではないが多くをはっきりと嗅ぎ分けることができるという。しかし、専門家ではない私たちの多くは、香りを好きか嫌いか、良いか悪いかという2軸でしか語ることができない。1 兆と 2 つという絶望的な乖離が起きてしまうのは香りを評価するための、客観的な言葉が存在しないからだ。
嗅覚にまつわる「言葉」は極端に少ない。おそらく日本語で純粋に匂いに関する言葉(単語)は「臭い」くらいしか存在しない。反対概念の「良い香り」という言葉は「良い」と「香り」を組み合わせたものだ。香りに関する言葉のほとんどは他の感覚(特に味覚)からの借り物で成り立っている。甘い香り、すっぱい香りなどは味覚からの借り物だ。バニラの香りとか柑橘系の香りウッディなどというのは素材や原材料そのものから拝借している。その素材のことを知らない場合、例えばクミンの香りという表現は、その素材(クミン)自体を知らない人には一切通じない。嗅覚以外の身体感覚については、私たちはその感じ方そのものに呼び名をつけることができている。そうすることで、より明確にそれらを思い描き、他者と共有することもできる。音は、周波数や音程、強さなどで区分けされているので、音階として表現され、それを頼りに頭の中で音を再現することも可能となる。色も光の波⻑で科学的に表現されたり、世界の多くの言語で名前がつけられたりしている。味でさえも、甘いや苦いなどといった感覚が、そして旨味でさえも人類共通のものとして認識されている。言葉は世界を認識するための道具である。私たちは言葉によってはじめて世界を認識することができている。そう考えると、言葉を持たない香りの感じ方というものは、この世界に存在していないのと同義ではないか。
山岳国のチベットでは家畜のヤクの呼び方が、無数に存在しているという。1 歳のヤク、2 歳のヤクはそれぞれ違う名称を持ち、角の形状や毛色、模様や性格によっても呼び名が変わり、その組み合わせ方によってほぼ無限の呼び名ができるのだそうだ。彼らはヤクの中に膨大なバリエーションとグラデーションを見ている。一方、海を持たないチベット人にとって魚はすべて魚でありそこに種類を見ることはない。私たち海洋国の日本人が同一の魚を生育段階にあわせてハマチ→メジロ→ブリと呼び替えるのとは大違いだ。私たちは魚の中に多くのバリエーションとグラデーションを見ることができる。チベット人にとって、アンコウもタイも同じただの魚であるように、日本人にとっては 1歳の気性の荒いオスのヤクも、3 歳の純白の角のないメスのヤクも同じただのヤクである。差異を表現するぴったりの言葉が存在してない場合、私たちはこうした差異を、そもそも存在しないものとして見落としてしまう。香りを表現する言葉の少なさはつまり香りを他者に伝達することだけでなく、香りに対する自分自身の理解や認識にも負の影響を与えているのだ。
(後略)
あなたの鼻はモノクロの世界しか知らないと言われたら、どんな気がするだろうか?本来、目の前には豊かでカラフルな香りの世界が広がっているにも関わらず、あなたの鼻がその芳醇な世界を認知できていないのだとしたら?そして、あなたの鼻をモノクロの世界に押し込めているのは、言葉の不足によるものだと言われたら。
現在、公開中のフランス映画「パリの調香師 しあわせの香りを探して」の中で、主人公の女性調香師が旅先に自宅からわざわざシーツを持っていきホテルの洗いたてのシーツと取り替えるという奇行じみたエピソード(映画の主人公のモデルになった実在の有名女性調香師の実際のエピソード)を、嗅覚の鋭い人物の変わった日常のひとつとして少しシニカルに描かれている。彼女曰く、多くのホテルのシーツには大量の安価な合成ムスク(ガラクソリド)入りの柔軟剤が使われており、その香りが大嫌いだとのこと。このように芳香分子ガラクソリド単体の香りを認識して、それを忌避できる一般人は多くはない。調香のプロフェッショナルな世界にいる人物だからこそできる曲芸のような技術と特殊な回避行動のようにも思うが、彼ら・彼女らが日常に溢れている香りの世界でさえも分析的に眺め、通常であれば認識できない自身の不快要素を割り出してそこから距離を取ることでマイナスを除き、自らの生活を豊かにしていることを示す良い例であると思う。
最新の研究によると、人間は本来 1 兆種類ものにおい(混合臭)を識別できる能力をもっている可能性があると言われている。香りのプロフェッショナルはその全てではないが多くをはっきりと嗅ぎ分けることができるという。しかし、専門家ではない私たちの多くは、香りを好きか嫌いか、良いか悪いかという2軸でしか語ることができない。1 兆と 2 つという絶望的な乖離が起きてしまうのは香りを評価するための、客観的な言葉が存在しないからだ。
嗅覚にまつわる「言葉」は極端に少ない。おそらく日本語で純粋に匂いに関する言葉(単語)は「臭い」くらいしか存在しない。反対概念の「良い香り」という言葉は「良い」と「香り」を組み合わせたものだ。香りに関する言葉のほとんどは他の感覚(特に味覚)からの借り物で成り立っている。甘い香り、すっぱい香りなどは味覚からの借り物だ。バニラの香りとか柑橘系の香りウッディなどというのは素材や原材料そのものから拝借している。その素材のことを知らない場合、例えばクミンの香りという表現は、その素材(クミン)自体を知らない人には一切通じない。嗅覚以外の身体感覚については、私たちはその感じ方そのものに呼び名をつけることができている。そうすることで、より明確にそれらを思い描き、他者と共有することもできる。音は、周波数や音程、強さなどで区分けされているので、音階として表現され、それを頼りに頭の中で音を再現することも可能となる。色も光の波⻑で科学的に表現されたり、世界の多くの言語で名前がつけられたりしている。味でさえも、甘いや苦いなどといった感覚が、そして旨味でさえも人類共通のものとして認識されている。言葉は世界を認識するための道具である。私たちは言葉によってはじめて世界を認識することができている。そう考えると、言葉を持たない香りの感じ方というものは、この世界に存在していないのと同義ではないか。
山岳国のチベットでは家畜のヤクの呼び方が、無数に存在しているという。1 歳のヤク、2 歳のヤクはそれぞれ違う名称を持ち、角の形状や毛色、模様や性格によっても呼び名が変わり、その組み合わせ方によってほぼ無限の呼び名ができるのだそうだ。彼らはヤクの中に膨大なバリエーションとグラデーションを見ている。一方、海を持たないチベット人にとって魚はすべて魚でありそこに種類を見ることはない。私たち海洋国の日本人が同一の魚を生育段階にあわせてハマチ→メジロ→ブリと呼び替えるのとは大違いだ。私たちは魚の中に多くのバリエーションとグラデーションを見ることができる。チベット人にとって、アンコウもタイも同じただの魚であるように、日本人にとっては 1歳の気性の荒いオスのヤクも、3 歳の純白の角のないメスのヤクも同じただのヤクである。差異を表現するぴったりの言葉が存在してない場合、私たちはこうした差異を、そもそも存在しないものとして見落としてしまう。香りを表現する言葉の少なさはつまり香りを他者に伝達することだけでなく、香りに対する自分自身の理解や認識にも負の影響を与えているのだ。
(後略)
慶應義塾大学 大学院 メディアデザイン研究科(KMD)への合格者が書いた文章です。文化や科学的思考に対する深い理解と、芸術に対する斬新な問題点の指摘を兼ね備えた、高度なアカデミック性を備えた内容です。
「芸術は自由な世界」と言いながらも視覚・聴覚の表現に分野を限定しがちな芸術の世界に、「香り(嗅覚)」の世界の可能性がまだ追求しきれていないという大きな問題点を指摘し、研究対象として絞り込んでいます。
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