大学院入試 参考作品
美大の大学院入試へ合格した当塾在籍生が制作した作品集(一部抜粋)です。アート性の高い自主制作作品プロデュースと出願・面接を重視する受験対策で、大学院入試で高い合格実績。下記項目別のリンク先でまとめて閲覧できます。
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慶應義塾大学 大学院 メディアデザイン研究科(KMD)への合格者が書いた文章です。文化や科学的思考に対する深い理解と、芸術に対する斬新な問題点の指摘を兼ね備えた、高度なアカデミック性を備えた内容です。「芸術は自由な世界」と言いながらも視覚・聴覚の表現に分野を限定しがちな芸術の世界に、「香り(嗅覚)」の世界の可能性がまだ追求しきれていないという大きな問題点を指摘し、研究対象として絞り込んでいます。
(前略)
私たちは、日々、五感(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)からたくさんの情報を得て生きている。なかでも視覚は特権的な位置を占め、人間が外界から得る情報の8〜9割は視覚に由来するとも言われる。聴覚は視覚に次ぐ地位を得ている。そのせいもあってか、これまで科学や学術の世界では、味覚や嗅覚は「曖昧な感覚」と捉えられ、視覚や聴覚に比べ、それほど熱心に研究されてこなかった。
「万学の祖」ともいわれるギリシャの哲学者アリストテレスも、嗅覚というものに対して、他のあらゆる動物に遠く及ばないばかりか、人間の持つ感覚の中で最も劣っていると酷評していたことで知られている。ドイツの哲学者エマニュエル・カントは「判断力批判」という本において、味覚や嗅覚というのは対象から距離が取れないためにクリティクス(批判)を作ることができないが故に美術や音楽のような客観的な文化となることができないのだと論じ、その後の味覚・嗅覚を軽視する歴史的な流れを作ったとも言われている。
確かに、視覚は光という波をとらえ、聴覚は音という波を捉えることで知覚されるものであり、波動はすべからく物理現象であるがゆえに、客観視することができる。方や嗅覚は、匂い分子が鼻の奥にある嗅覚受容体と結びつき、嗅神経細胞が電気的に興奮し、それが神経を伝わって匂いの電気信号として脳へ運ばれて匂いが感知されるというメカニズムで成り立っており、これは知覚の対象物となる匂い分子そのものと体との距離がゼロであること、つまり客観視できないことを同時に意味している。
体感を客観視できないという影響によるせいか、嗅覚にまつわる「言葉」は極端に少ない。おそらく日本語で純粋に匂いに関する言葉は「臭い」くらいしか存在しない。香りに関する言葉のほとんどは他の感覚(特に味覚)からの借り物で成り立っている。甘い香り、すっぱい香りなどは味覚からの借り物で、バニラの香りとか柑橘系の香りウッディなどというのは素材や原材料そのものから拝借している。
嗅覚以外の身体感覚については、私たちはその感じ方そのものに呼び名をつけることができている。そうすることで、より明確にそれらの感覚を思い描き、他者と共有することもできる。音は、周波数や音程、強さなどで区分けされているので、音階として表現され、それを頼りに頭の中で音を再現することも可能となる。色も光の波⻑で科学的に表現されたり、世界の多くの言語で名前がつけられたりしている。味でさえも、甘いや苦いなどといった感覚が、そして旨味でさえも人類共通のものとして認識されている。
(後略)
私たちは、日々、五感(視覚・聴覚・嗅覚・触覚・味覚)からたくさんの情報を得て生きている。なかでも視覚は特権的な位置を占め、人間が外界から得る情報の8〜9割は視覚に由来するとも言われる。聴覚は視覚に次ぐ地位を得ている。そのせいもあってか、これまで科学や学術の世界では、味覚や嗅覚は「曖昧な感覚」と捉えられ、視覚や聴覚に比べ、それほど熱心に研究されてこなかった。
「万学の祖」ともいわれるギリシャの哲学者アリストテレスも、嗅覚というものに対して、他のあらゆる動物に遠く及ばないばかりか、人間の持つ感覚の中で最も劣っていると酷評していたことで知られている。ドイツの哲学者エマニュエル・カントは「判断力批判」という本において、味覚や嗅覚というのは対象から距離が取れないためにクリティクス(批判)を作ることができないが故に美術や音楽のような客観的な文化となることができないのだと論じ、その後の味覚・嗅覚を軽視する歴史的な流れを作ったとも言われている。
確かに、視覚は光という波をとらえ、聴覚は音という波を捉えることで知覚されるものであり、波動はすべからく物理現象であるがゆえに、客観視することができる。方や嗅覚は、匂い分子が鼻の奥にある嗅覚受容体と結びつき、嗅神経細胞が電気的に興奮し、それが神経を伝わって匂いの電気信号として脳へ運ばれて匂いが感知されるというメカニズムで成り立っており、これは知覚の対象物となる匂い分子そのものと体との距離がゼロであること、つまり客観視できないことを同時に意味している。
体感を客観視できないという影響によるせいか、嗅覚にまつわる「言葉」は極端に少ない。おそらく日本語で純粋に匂いに関する言葉は「臭い」くらいしか存在しない。香りに関する言葉のほとんどは他の感覚(特に味覚)からの借り物で成り立っている。甘い香り、すっぱい香りなどは味覚からの借り物で、バニラの香りとか柑橘系の香りウッディなどというのは素材や原材料そのものから拝借している。
嗅覚以外の身体感覚については、私たちはその感じ方そのものに呼び名をつけることができている。そうすることで、より明確にそれらの感覚を思い描き、他者と共有することもできる。音は、周波数や音程、強さなどで区分けされているので、音階として表現され、それを頼りに頭の中で音を再現することも可能となる。色も光の波⻑で科学的に表現されたり、世界の多くの言語で名前がつけられたりしている。味でさえも、甘いや苦いなどといった感覚が、そして旨味でさえも人類共通のものとして認識されている。
(後略)
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