大学院入試 参考作品
美大の大学院入試へ合格した当塾在籍生が制作した作品集(一部抜粋)です。アート性の高い自主制作作品プロデュースと出願・面接を重視する受験対策で、大学院入試で高い合格実績。下記項目別のリンク先でまとめて閲覧できます。
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当塾より武蔵野美術大学 大学院 油絵コースに合格した受験生が制作したポートフォリオ(一部抜粋)です。作品制作のコンセプトを対話型授業により明確化。英語の受験対策に加え、出願書類・面接のプレゼンテーション力をアップしながらポートフォリオの内容を充実させ、合格することができました。
私は屋内ではなく自然環境の中で制作を行う。
植物・虫・動物だけでなく、それを内包する土・水などにも存在感がある。それは「自然と人間」というような対立した概念ではなく、不安を覚えるような存在でもない。
どちらかといえば、お風呂に浸かる時のような、囲まれていることに安心感や心地よさを覚える存在だ。
「森」や「林」という言葉に象徴されるように、生命は集合体になると、その個々の存在感を失う。しかし、私は集合体の「生命」一つ一つを描く。生命は天気や時間・季節によって変化する。例えば植物は枯れ、また生え、花や実をつける。それをひたすら追い、存在感を表現するのだ。
現代社会において人間は自分が生命であり自然環境の一部であることを忘れ、自然との間に壁を作って入り込まないようにして安心感を得る。私は、環境をうめつくす存在感によって見る人に対立概念としての「自然と人間」という認識の転換を促すのである。
今の文明は自然と人間とを相対化して、自然を支配し排除しようとしている。そしてその排除対象には生き物であるわれわれ人間も入っており、人間から生き物らしさを排除することにもなりかねない。
私は自然と人間とを対立させる方向ではなく両方が調和する生命体として同じものであるであるととらえて自然を描いてきた。それをあえて自然環境を排除するために作られた「壁」で構成された「部屋(屋内)」に設置することで、人間を含む生き物を排除しがちな空間のなかに、生命を排除しない絵画空間をつくっていく。
その中に人が入ったとき、見る人は絵画空間の中の生き物のコロニーの中で、存在感の中に自分が含まれている感覚を得、絵画空間から出た時に、いかに既存の自然と人間の捉え方が生き物を排除しているかを知ることが出来る。
群像を描く。
草や枝、根は増殖する。
全てが一つのようでいて、それぞれが独立して生きてもいる。
それぞれが役割を果たし
色を変え
時間とともに増え続ける
時間や空間は常に変化する。
私の視点や制作場所は、飛び回る虫のようにあちこちに散らばる。
そして、それが一つの画面の中に集約される。
さらにそれが 18 枚集まり、ひとつの制作となった。
完成形を追い求めたのではなく、つなげたのは、自分の見た「今」の連続。
風景を切り取ったのではなく、つなげたのは、手で感じ取ったもの。
同じ場所を一つの画面に描く。
葉や茎も同じ土から生え同じ場所に生き
それぞれが違いを持ちつつ生きている。
植物というのは
人の営みのようなものかもしれない。
皆同じように生きているが
違うように生きてもいる。
違う生を生きる
この絵は群衆だ
葉一枚一枚は
人間一人ひとりと
変わらぬ存在感と個性を持って
画面の中にある。 違う場所で同じように
同じ場所で違うように
生きる両方を内包する
植物・虫・動物だけでなく、それを内包する土・水などにも存在感がある。それは「自然と人間」というような対立した概念ではなく、不安を覚えるような存在でもない。
どちらかといえば、お風呂に浸かる時のような、囲まれていることに安心感や心地よさを覚える存在だ。
「森」や「林」という言葉に象徴されるように、生命は集合体になると、その個々の存在感を失う。しかし、私は集合体の「生命」一つ一つを描く。生命は天気や時間・季節によって変化する。例えば植物は枯れ、また生え、花や実をつける。それをひたすら追い、存在感を表現するのだ。
現代社会において人間は自分が生命であり自然環境の一部であることを忘れ、自然との間に壁を作って入り込まないようにして安心感を得る。私は、環境をうめつくす存在感によって見る人に対立概念としての「自然と人間」という認識の転換を促すのである。
今の文明は自然と人間とを相対化して、自然を支配し排除しようとしている。そしてその排除対象には生き物であるわれわれ人間も入っており、人間から生き物らしさを排除することにもなりかねない。
私は自然と人間とを対立させる方向ではなく両方が調和する生命体として同じものであるであるととらえて自然を描いてきた。それをあえて自然環境を排除するために作られた「壁」で構成された「部屋(屋内)」に設置することで、人間を含む生き物を排除しがちな空間のなかに、生命を排除しない絵画空間をつくっていく。
その中に人が入ったとき、見る人は絵画空間の中の生き物のコロニーの中で、存在感の中に自分が含まれている感覚を得、絵画空間から出た時に、いかに既存の自然と人間の捉え方が生き物を排除しているかを知ることが出来る。
群像を描く。
草や枝、根は増殖する。
全てが一つのようでいて、それぞれが独立して生きてもいる。
それぞれが役割を果たし
色を変え
時間とともに増え続ける
時間や空間は常に変化する。
私の視点や制作場所は、飛び回る虫のようにあちこちに散らばる。
そして、それが一つの画面の中に集約される。
さらにそれが 18 枚集まり、ひとつの制作となった。
完成形を追い求めたのではなく、つなげたのは、自分の見た「今」の連続。
風景を切り取ったのではなく、つなげたのは、手で感じ取ったもの。
同じ場所を一つの画面に描く。
葉や茎も同じ土から生え同じ場所に生き
それぞれが違いを持ちつつ生きている。
植物というのは
人の営みのようなものかもしれない。
皆同じように生きているが
違うように生きてもいる。
違う生を生きる
この絵は群衆だ
葉一枚一枚は
人間一人ひとりと
変わらぬ存在感と個性を持って
画面の中にある。 違う場所で同じように
同じ場所で違うように
生きる両方を内包する
□ 研究内容を選んでください(現在の研究内容は「青色」で表示されます)。