合格者 参考作品集
当塾からの合格者の作品集(抜粋紹介)です。本ページの掲載作品の半分以上は、ほぼ初心者から受験対策を初め、最終的に質の高い作品制作ができるように成長した例です。指導効率の良い個別授業だからこ実現できる受験対策です。
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編入学試験や大学院入試で大学側に提出する研究計画の例(一部抜粋:半分程度。個人情報に関わる項目その他を削除)です。当塾では出願前の受験対策を入念に行い、出願時から高いレベルの志望動機・研究計画等の提出を行うことで、美大の芸術学系学科へ高い合格率を出しています。
(前略)
芸術は古代より人間の精神や価値観、生活や権力と深く関わるものとして発展してきた。 人々が当たり前に神を信仰し、まだ超然とした存在に畏れを持っていた頃、芸術は一般の人々 のものではなく、神の側のものだった。
美術の歴史が現代に近づくにつれ、または科学の発展が進むにつれ、人々は芸術作品に対 する畏れや信仰を薄れさせ始めた。夜の闇は電気によって煌々と照らす事ができ、人間は神が創造したものではなく、猿人から進化したものだと実証されてしまった。違う思想を持つ 人とも、インターネットを通じれば簡単に出会う事ができる。
現代では、そうした背景の中で宗教や権威的なものが持つ個人の精神への影響力は薄れつつある。同時に芸術の宗教的要素は消え去り、今度は長い歴史の中で、初めて個人の「自己」を表現するという段階に入ってきた。
人類にとって比較的新しい概念である「自己」を、インターネットの登場によって容易く 表現できるようになったが、人々は一様な存在を崇める段階を経て、思想やメッセージを自由に表現する事が出来るようになった。しかし、その流れの中で安易な表現が氾濫し、芸術 の歴史的コンテクスト自体を理解する事を否定する流れが出来てしまっているとも言えるだ ろう。
現代では、一人一人の思想が細かく違っている故に、同じ考えを持つ人間がグループを形 成し、他の思想を排除しようとすれば、攻撃対象があまりに多い。19世紀以前のように、 大勢が同じ思想を妄信的に信じるという状況は現代では大きな争いのもとになってしまうだろう。この様な自己表現の氾濫は、「表現の幅を広げる」という点では大変躍進的ではある。
しかし、こうした生活の多様化・価値観の多様化によって、アカデミックに構築されたものや、権威付けされたものの価値が薄まっているのが現状である。私は歴史と文明 の中で積み上げられてきたものの価値は「時代だから」という諦めによって失われるべきものではない考えている。
この問題はインターネットで情報収集する若い世代へ、芸術の文脈を理解させる方法・機会を積極的にネットを用いて提供することで解消できるものである。若い世代へアピールする為に有効なyotubeやtwitterなどのネットツールをなぜ使いこなせていないのかということは、研究に値する。
2016年、ハーバード大学は約9,000点にも及ぶバウハウスのアーカイヴを無料でWeb上に公開した。また、ベルリン自然史博物館は収蔵された模式標本・剥製を全て3Dデータ化し、 Webでの無料公開を進めている。
欧米ではこうした流れが出来始めている。つまり、歴史的なアーカイヴを保存・維持し続 ける方法をデータへ移行したと言っても良いだろう。美術館の貯蔵品のようにアーカイヴそのものに価値性を与えて保持し続ける事よりも、Web上の情報として提供することで、芸術のコンテクストを汲み取る新しいアーカイヴが更新されることへの期待を持っている。
(中略)
若者に身近なネット上に存在する芸術の価値は、感受性の多様性を肯定するところにある。現在、漫画、アニメ、映画、音楽などの芸術においてのサブカルチャーとして扱われるものは、実は我々にとって一番身近な芸術である。もはや「サブ」という言葉で内包できないというのが実感である。
しかし、漫画やアニメ、映画、音楽、そして美意識や価値観でさえも、 一般的な倫理感や常識から少し外れると「サブ」カルチャーとして扱われる。そういった経済的な活動とは別の娯楽的なものへの欲求を抑えながら生きる状態は、価値観の多様性が無視される社会の縮図のように感じている。
倫理や社会性を重んじるあまり、周りに合わせる=自分の考えを抑圧する、という極端な構造に陥りがちになる。すなわち、芸術を楽しむ余裕もなく窮屈な思いをしながら生きざるをえなくなっているのだ。
若者が本来持ち合わせるはずの躍進的な欲求や好奇心を抑えることは、芸術の発展において大変勿体の無いことだ。倫理や社会性を重んじることと同様に、自分の感性を大切にし、信じることの価値は大きいはずである。
「人と違う」感受性が軽んじられてしまっている現状と時間的・経済的な余裕の無さは、若者の芸術に対しての好奇心をより失わせてしまっている。これからの芸術の役割は、価値観の多様性を示すことである。芸術において下位とされている文化だが、これだけ我々に身近なものだからこそ、その作品を制作する背景を芸術側から発信していくことは大いに価値がある。
(中略)
昨今はインターネットによって広告や芸術作品が炎上しやすい現状がある。これらは、他人の感性や感覚を理解できない/しようとしないことから生まれるのではないかと考えている。SNSなどで好きなものに囲まれる事が容易な時代に、バーチャ ルの世界で相手の立場になって考えることがないがしろにされていると気が付いたのだ。広告の本質を探る中で受け手側の問題に気づいた私は、一人一人、違いが存在する感性を上手に活かすことが、社会での生きやすさと芸術の発展に繋がると考えるようになった。
私は貴大学を卒業後、若い世代が芸術に向き合い、話し合うプロジェクトを企画・運営しようと考えている。制作をする側の人と一般の人、両者が芸術についての意見を交換する機会を作り、一般人に対し、身近にあるモノの一つ一つが丁寧に考え作られている事を理解して貰うサービスをより増やすことで、彼らが芸術に対しての意識を改めて持つことを目的とする。
(後略)
芸術は古代より人間の精神や価値観、生活や権力と深く関わるものとして発展してきた。 人々が当たり前に神を信仰し、まだ超然とした存在に畏れを持っていた頃、芸術は一般の人々 のものではなく、神の側のものだった。
美術の歴史が現代に近づくにつれ、または科学の発展が進むにつれ、人々は芸術作品に対 する畏れや信仰を薄れさせ始めた。夜の闇は電気によって煌々と照らす事ができ、人間は神が創造したものではなく、猿人から進化したものだと実証されてしまった。違う思想を持つ 人とも、インターネットを通じれば簡単に出会う事ができる。
現代では、そうした背景の中で宗教や権威的なものが持つ個人の精神への影響力は薄れつつある。同時に芸術の宗教的要素は消え去り、今度は長い歴史の中で、初めて個人の「自己」を表現するという段階に入ってきた。
人類にとって比較的新しい概念である「自己」を、インターネットの登場によって容易く 表現できるようになったが、人々は一様な存在を崇める段階を経て、思想やメッセージを自由に表現する事が出来るようになった。しかし、その流れの中で安易な表現が氾濫し、芸術 の歴史的コンテクスト自体を理解する事を否定する流れが出来てしまっているとも言えるだ ろう。
現代では、一人一人の思想が細かく違っている故に、同じ考えを持つ人間がグループを形 成し、他の思想を排除しようとすれば、攻撃対象があまりに多い。19世紀以前のように、 大勢が同じ思想を妄信的に信じるという状況は現代では大きな争いのもとになってしまうだろう。この様な自己表現の氾濫は、「表現の幅を広げる」という点では大変躍進的ではある。
しかし、こうした生活の多様化・価値観の多様化によって、アカデミックに構築されたものや、権威付けされたものの価値が薄まっているのが現状である。私は歴史と文明 の中で積み上げられてきたものの価値は「時代だから」という諦めによって失われるべきものではない考えている。
この問題はインターネットで情報収集する若い世代へ、芸術の文脈を理解させる方法・機会を積極的にネットを用いて提供することで解消できるものである。若い世代へアピールする為に有効なyotubeやtwitterなどのネットツールをなぜ使いこなせていないのかということは、研究に値する。
2016年、ハーバード大学は約9,000点にも及ぶバウハウスのアーカイヴを無料でWeb上に公開した。また、ベルリン自然史博物館は収蔵された模式標本・剥製を全て3Dデータ化し、 Webでの無料公開を進めている。
欧米ではこうした流れが出来始めている。つまり、歴史的なアーカイヴを保存・維持し続 ける方法をデータへ移行したと言っても良いだろう。美術館の貯蔵品のようにアーカイヴそのものに価値性を与えて保持し続ける事よりも、Web上の情報として提供することで、芸術のコンテクストを汲み取る新しいアーカイヴが更新されることへの期待を持っている。
(中略)
若者に身近なネット上に存在する芸術の価値は、感受性の多様性を肯定するところにある。現在、漫画、アニメ、映画、音楽などの芸術においてのサブカルチャーとして扱われるものは、実は我々にとって一番身近な芸術である。もはや「サブ」という言葉で内包できないというのが実感である。
しかし、漫画やアニメ、映画、音楽、そして美意識や価値観でさえも、 一般的な倫理感や常識から少し外れると「サブ」カルチャーとして扱われる。そういった経済的な活動とは別の娯楽的なものへの欲求を抑えながら生きる状態は、価値観の多様性が無視される社会の縮図のように感じている。
倫理や社会性を重んじるあまり、周りに合わせる=自分の考えを抑圧する、という極端な構造に陥りがちになる。すなわち、芸術を楽しむ余裕もなく窮屈な思いをしながら生きざるをえなくなっているのだ。
若者が本来持ち合わせるはずの躍進的な欲求や好奇心を抑えることは、芸術の発展において大変勿体の無いことだ。倫理や社会性を重んじることと同様に、自分の感性を大切にし、信じることの価値は大きいはずである。
「人と違う」感受性が軽んじられてしまっている現状と時間的・経済的な余裕の無さは、若者の芸術に対しての好奇心をより失わせてしまっている。これからの芸術の役割は、価値観の多様性を示すことである。芸術において下位とされている文化だが、これだけ我々に身近なものだからこそ、その作品を制作する背景を芸術側から発信していくことは大いに価値がある。
(中略)
昨今はインターネットによって広告や芸術作品が炎上しやすい現状がある。これらは、他人の感性や感覚を理解できない/しようとしないことから生まれるのではないかと考えている。SNSなどで好きなものに囲まれる事が容易な時代に、バーチャ ルの世界で相手の立場になって考えることがないがしろにされていると気が付いたのだ。広告の本質を探る中で受け手側の問題に気づいた私は、一人一人、違いが存在する感性を上手に活かすことが、社会での生きやすさと芸術の発展に繋がると考えるようになった。
私は貴大学を卒業後、若い世代が芸術に向き合い、話し合うプロジェクトを企画・運営しようと考えている。制作をする側の人と一般の人、両者が芸術についての意見を交換する機会を作り、一般人に対し、身近にあるモノの一つ一つが丁寧に考え作られている事を理解して貰うサービスをより増やすことで、彼らが芸術に対しての意識を改めて持つことを目的とする。
(後略)
「武蔵野美術大学 芸術文化学科」「多摩美術大学 芸術学科」編入学試験合格者が大学側に提出した研究計画です。削除部分があるので実際に提出した内容の半分程度ですが、かなり高度な内容が大学側に提出できていることはご理解いただけると思います。
「この人はすごい!こんな受験生にはうちの学生になってほしい!」と教授の方々が考えれば、合格する可能性はとても高まります。当塾の授業は、教授の方々が欲しているような高いレベルの人材育成を様々な課題と授業時間内の情報提供によって実現しています。
□ 小論文の番号を選んでください(現在の番号は「紫色」で表示されます)。