当塾より武蔵野美術大学 空間演出デザイン学科の編入試験で合格した受験生が制作した作品です。
材料・素材
・ビニール袋 ・段ボール ・古紙 ・油性ペン ・針金
・スライム(洗濯のり、洗剤) ・ブラックライト
・布 ・網 ・突っ張り棒
制作者のコメント
「危険」の文字を見て胸が高鳴るのは「危険」の先がこの世の果てであることを知っているからだ。
山奥のコンクリート道、舗装された道を車で走っていると、すぐ脇に見える森にほうに目を奪われる。ジメジメとした重い雰囲気に、もしかしたら何か見えてはいけないものが見えてしまうのではないか、と怖いもの見たさで森の奥深くを覗き込んでしまう。
田舎のおばあちゃんの家の隣に、いつも気になってジッと覗いてしまう深い森がある。その原因は、奥の方にぽつんとある、二階建ての一軒家。緑に侵食されつつ、まだ人工的な元の形を保とうと踏ん張っているが、壁はほとんどホロホロと崩れてしまっている。だから、家の中をところどころ見ることができてしまう。人は住んでいないけれど、人の家の中を勝手に覗くのはいけないことだ。しかし、小さい頃から今まで、10年以上この空き家を覗き続けた結果、分かったことがある。この家にはずっと森が住んでいたのだ。
人間が作り出した家は、何十年の時を経て自然が住みつくようになる。キッチン、風呂、寝室、全てが植物の繁殖しやすい湿気った環境になっていて、彼らの成長を止めるものはいない。この家の壁の合間から見える、二階への階段は、蜂の住処となっていた。彼らは人間の残していった腐った食べ物を食べて育ったのだろうか、蜂の巣が妙に光を放っている。「働き蜂」と呼ばれるだけあって、巣蜜に覆われた階段はかなりの数を飽きず六角形に、丁寧に作られている。
蜂の蜜は蜂にとってゲロである。人間はそれを美味しい食べ物として扱っている。人間が出したゲロに群がるハエのように。しかし、新宿渋谷を早朝に歩いても蜂出すような食べたくなるほどの綺麗なゲロは見たことがない。しかし、ここにある蜂のゲロは、新宿渋谷の汚い部分を取り出し抽出したような、青白く不気味に光っていて、食欲を沸き立たせるようなものではなかった。
階段の先は真っ暗で見えず、今にも壊れそうな家である。気になって仕方がない私がいるが、これ以上先を見に行くのは危険である。まだ奥に部屋が続いているのだろうか。もしかしたら1度登ったら戻れない無限の階段かもしれないし、この先には森のラスボスがいて、倒したら勇者になれるかもしれない。そんな妄想で、心が勝手にワクワクしてしまう。まだ誰も足跡をつけていない、まだ誰も知ることのない、この階段の先。
ここはこの世の果てと言えよう。
この作品を制作した当塾在籍生は、他に下記の作品も制作しています。