当塾より武蔵野美術大学 空間演出デザイン学科の編入試験で合格した受験生が制作した作品です。
材料・素材
スライム、ビニール袋、ワイヤーネット、ブラックライト
制作者のコメント
小さい頃、家の水槽で泳いでいる金魚を見て思った。こいつらは、水を足すだけで家が広くなるんだ、お金も労力もかからないなんていいな、いっそ金魚になれたらな、と。
お祭りの金魚すくいの金魚。ポイで狙われるたび、キラキラした自慢の鱗にキズをつけられ、散々追いかけ回された結果、捕まえられ狭いビニール袋に閉じ込められる。お祭りが終わるまで振り回され、苦しそうだ。子供の頃は、欲しくてたまらなかったこの金魚も、大人になるにつれて、可哀想に思うようになった。
鮪や秋刀魚は食べたいのに、金魚は食べたくない。それは、私達が金魚と仲良くなりすぎたからだ。ポイですくった瞬間から、ひと夏の思い出以上の存在となり、ペットという存在になる。でも、犬や猫を飼う時のような重い覚悟や契約書はいらない。テキ屋おっちゃんに300円程度のお金を渡せば、金魚の親権、命は私の手の中なのだ。
お祭りの度にすくった金魚を持って帰ってよく母に怒られた。その時はなんで怒られるのか分からなかったが、今になって母の言ってたことがよく分かる。無垢な子供が命を気軽に買える金魚すくい、今考えるとゾッとする。
生温い水の入ったぷにぷにのビニール袋。その袋を指で押せば、まるで金魚自身が触るなと必死に押し返してくるように、ビニール越しで指を弾かれる。一点を見つめ、口をパクパクさせたマヌケな顔が私たちのサディスティックな心を高まらせているのだろうか。この行為は飽きずに永遠と楽しんでいられる。
金魚をジッと見つめる熱い視線、袋の中の冷たい温度を徐々に奪っていく熱い指。金魚のプクプクとだす泡が、まるで袋の中の金魚がじっくり火にかけられて、沸騰したかのようだ。しばらくして、融点に達した金魚が溶けてゆく。水と融合し、ひとつの液体としてドロドロに混ざり合う。ハサミで袋に逃げ道を作ってやると、ゆっくりと、一直線に外へ逃げ出す。
小さい頃大好きだった金魚すくい。彼らをすくうたびに猟奇的な感情が私の心を蝕んでいくのであった。
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