編入・転科試験 参考作品
美大の編入学試験へ合格した当塾在籍生が制作した作品集(一部抜粋)です。アート性の高い自主制作作品プロデュースと出願・面接を重視する受験対策で、編入学試験で高い合格実績。下記項目別のリンク先でまとめて閲覧できます。
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武蔵野美術大学 造形構想学部 映像学科 3年次編入試験の合格者作品。
難聴というハンディキャップを乗り越え、見事映像系学科へ合格した作品です。当塾の受験対策で映像の歴史への深い理解と現代映像に対する的確な分析力を養い、見事志望校合格を勝ち取りました。
難聴というハンディキャップを乗り越え、見事映像系学科へ合格した作品です。当塾の受験対策で映像の歴史への深い理解と現代映像に対する的確な分析力を養い、見事志望校合格を勝ち取りました。
武蔵野美術大学 造形構想学部 映像学科 3年次編入試験の合格者の動画作品です。映像の原点であるサイレント映画へのオマージュ。映像と文字とのコンビネーションによる映像表現を目指した秀作です。
当塾より武蔵野美術大学 映像学科の編入学試験で合格した受験生が制作した論文系ポートフォリオです。他分野からの編入というハンディを乗り越え、映像の歴史に対する深い理解と現代の映像に対する的確で深い分析力により、映像作品の数の少なさをカバー、見事合格しました。
(論文の一部抜粋)
音のない映像は、ひとつの映像表現として欠かせないものだと考える。まず、私が音のない映像に注目したきっかけは大学での経験である。現在、大学で空間デザインを学んでいる。建築模型を作るうちに素材感の素晴らしさに注目するようになり、映像で表現してみたいと思った。普段、授業で使っている付箋を人間に見立て、コマ撮りで物語制作した。普段、何気なく使っているものがいつもと違い、新鮮に見えた。それがきっかけで素材感の素晴らしさを映し、編集して記録に残すことの面白さに気付いた。その後、気になったものを動画として撮影した。金魚、光、車窓、人間、水、風。動画を色々見返しているうちに、それらのものが、「音」を消して鑑賞した場合でも、撮影するべき映像表現の素材として十分魅力的な価値を持っていることに気付き、ファイナルカットとiMovieで編集し、映像作品に仕上げた。
街や日常生活では音がないものが多く溢れている。例えば、太陽の光、影の動き、窓をつたう雨のしずくなど。それらは、音がない、というだけであまり注目されない。なぜ、注目されないのか。人に今までで楽しい思い出は?と質問すると、場所や出来事を答えることが多いだろう。しかし、日にちや時間などの細かい情報をうまく答えられない人が多い。日常生活では、情報を得ていく上で、補助的な情報が貴重であることを気付いていない人が多いと私は考える。それゆえ、音のないものの存在感が薄い。
なぜ、音のない映像に注目するようになったのか。それは、私が尊敬しているアーティスト、杉本博司さんの考えから影響を受けたからである。彼は写真作品を中心に立体から舞台などを手がけている。また、フィルムカメラで世界中の人々を魅了させる写真作品を多く残してきた。固定概念にとらわれず、写真に対して妥協をしない彼の姿勢が尊敬できる。彼がフィルムカメラにこだわる理由は銀塩写真でしか表現できないことがあるからだろうと思う。このように、映像でもビジュアルのみでしか表現できないことがあるはずだと思っている。私は音のないものを注目し、音のない映像を作ることで、対象物の美しさや驚きを再発見できることがあると思う。
人間は視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感で情報を受けている。その中で、無意識に外から受ける情報が多いのは視覚と聴覚だと思う。特に視覚が主要で、聴覚は補助的な役割を持ち、状況を判断することが多い。そのため、音がするものに自然と反応するだろう。しかし、中には音がないものもある。人間は視覚と聴覚をセットとして捉えることが多いため、どちらかが欠けると注目しない。私は音がないものにも魅力があると思っている。それを伝えるには、音のない映像で表現することが効果的であると考える。まず、音のない映像の必要性はどのようにあるか。映像に関わることに触れて考えてみる。
(後略)
音のない映像は、ひとつの映像表現として欠かせないものだと考える。まず、私が音のない映像に注目したきっかけは大学での経験である。現在、大学で空間デザインを学んでいる。建築模型を作るうちに素材感の素晴らしさに注目するようになり、映像で表現してみたいと思った。普段、授業で使っている付箋を人間に見立て、コマ撮りで物語制作した。普段、何気なく使っているものがいつもと違い、新鮮に見えた。それがきっかけで素材感の素晴らしさを映し、編集して記録に残すことの面白さに気付いた。その後、気になったものを動画として撮影した。金魚、光、車窓、人間、水、風。動画を色々見返しているうちに、それらのものが、「音」を消して鑑賞した場合でも、撮影するべき映像表現の素材として十分魅力的な価値を持っていることに気付き、ファイナルカットとiMovieで編集し、映像作品に仕上げた。
街や日常生活では音がないものが多く溢れている。例えば、太陽の光、影の動き、窓をつたう雨のしずくなど。それらは、音がない、というだけであまり注目されない。なぜ、注目されないのか。人に今までで楽しい思い出は?と質問すると、場所や出来事を答えることが多いだろう。しかし、日にちや時間などの細かい情報をうまく答えられない人が多い。日常生活では、情報を得ていく上で、補助的な情報が貴重であることを気付いていない人が多いと私は考える。それゆえ、音のないものの存在感が薄い。
なぜ、音のない映像に注目するようになったのか。それは、私が尊敬しているアーティスト、杉本博司さんの考えから影響を受けたからである。彼は写真作品を中心に立体から舞台などを手がけている。また、フィルムカメラで世界中の人々を魅了させる写真作品を多く残してきた。固定概念にとらわれず、写真に対して妥協をしない彼の姿勢が尊敬できる。彼がフィルムカメラにこだわる理由は銀塩写真でしか表現できないことがあるからだろうと思う。このように、映像でもビジュアルのみでしか表現できないことがあるはずだと思っている。私は音のないものを注目し、音のない映像を作ることで、対象物の美しさや驚きを再発見できることがあると思う。
人間は視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚の五感で情報を受けている。その中で、無意識に外から受ける情報が多いのは視覚と聴覚だと思う。特に視覚が主要で、聴覚は補助的な役割を持ち、状況を判断することが多い。そのため、音がするものに自然と反応するだろう。しかし、中には音がないものもある。人間は視覚と聴覚をセットとして捉えることが多いため、どちらかが欠けると注目しない。私は音がないものにも魅力があると思っている。それを伝えるには、音のない映像で表現することが効果的であると考える。まず、音のない映像の必要性はどのようにあるか。映像に関わることに触れて考えてみる。
(後略)
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